魚のような恒夫とジョゼの姿に、ジョゼは深い満足のためいきを洩らす。恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思う。 そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった。
(不機嫌というのは、男と女が共に棲んでいる場合、ひとつっきりしかない椅子なのよ・・・・・)とえり子はいいたいのである。 (どっちか先にそこへ坐ってしまったら、あとは立っていなければならない椅子とり遊び。自分が坐っちゃいけないのよ) 二人とも不機嫌になることはできない。もし、なったとすれば、それはもう共棲みの関係を解消したときで、まだまだ共棲みしようとすれば、椅子はつねに一つしかないと知るべきである。
しかし、宇禰(うね)はこの悦楽を先鋭化するために、二度と有ニと機会を持とうとは思わないのだ。宇禰はそういう決意を匕首(あいくち)のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった。
稔の言葉は墨をぶっかけられたように梨枝にはこたえた。(中略) その墨のシミは、一生、取れないような気がする。突然だったので、よけいそう思う。墨の飛沫があちこちに飛んで、軀も心も拭いがたい汚点だらけになってしまった。